応援する場所を持つと人生が変わる〜ゆめのたね放送局 岡田尚起

名前
岡田尚起
会社名
ゆめのたね放送局
キャッチコピー
応援したら、応援される
一言
「自分の想いを発信したい」「誰かの役に立ちたい」そんなあなたへ。
ゆめのたね放送局は、あなたが番組オーナーになり、自由に発信できる場所。
応援する側に立つことで、自分も成長し、夢が叶う。
そんな循環を生み出す放送局です。

あなたの声で、誰かの夢を応援する場所があります

「自分の想いを発信したい」
「人の役に立ちたい」
「もっと自分らしく生きたい」
そんなあなたの気持ちに、私たちゆめのたね放送局は応えます。
ここは単なるラジオ放送局ではありません。
あなたが「応援する側」に立つことで、自分自身も成長し、夢を実現していく。
そんな互恵の循環を生み出す、第4の居場所です。

他のラジオ局とは何が違うのか

ゆめのたね放送局の最大の特徴は、番組オーナー制度です。

一般的なラジオ局では、番組のスポンサーは企業や会社。
番組内容を作るのは放送作家や制作会社。
そして、その台本通りに喋るのがパーソナリティ。
この3つは完全に分かれています。

しかし、ゆめのたね放送局では、あなたが1人3役を担います。

  • 番組のオーナーはあなた自身
  • 番組内容もあなたが自由に企画
  • そして、あなた自身がパーソナリティとして発信

つまり、自分の喋りたいこと、伝えたいことを、自由に発信できる放送局なのです。
この自由度の高さが、多くの方に選ばれている理由です。

ゆめのたねで番組を持つと、何が起きるのか

番組を持つということは、人を応援する場所を持つということです。
そして、人を応援する場所を持った人は、成長し続けるしかありません。

実際に、首から下が全く動かなかった女性パーソナリティが、
番組を始めて1年後に右腕が動くようになり、3年後には歩けるようになりました。
なぜか。
「人を応援するためには、自分がちゃんと成長しないといけない」という想いから
自分で情報を集め、新しい治療法を見つけ、チャレンジしたからです。

番組を持つことで、あなたの元に人が集まります。
最初は小さなコミュニティから始まり、やがて大きなコミュニティへと育っていきます。
現在、全国で1,000人を超える番組オーナーが活躍していますが、それぞれが100名近いコミュニティを持っています。
つまり、何万人規模のネットワークが生まれているのです。

自由だけど、バラバラじゃない

ゆめのたね放送局には、統一された理念があります。
それが「ご縁・応援・貢献」です。

  • 人とのご縁を大切にし
  • 夢の実現を応援し
  • 人々がより心豊かな生活を実現できるように貢献する

この理念のもと、会社員、経営者、LGBT当事者、小中高大学生、主婦など、
多様な方々が自分らしく番組を運営しています。
自由度が高いのに統一感がある。
だからこそ、番組オーナー同士が互いに応援し合う文化が育っているのです。

一般的なラジオ番組は約1年で終了しますが、ゆめのたねでは3年以上継続される方がほとんど。
特に沖縄スタジオは、やめる方がほとんどいないという驚異的な継続率を誇ります。

応援したら、応援される

31歳で会社を辞めた私は、全国の高校生や大学生の夢を応援するワークショップを開催していました。
3,000人を超える学生コミュニティができ、年に1回、大阪のホールで夢の発表会を開いていました。

歌でもスピーチでも、表現方法は自由。
子どもたちが自分の夢を語り、最後にお父さんお母さんに花束を渡して
「これから社会人になって頑張っていくね」と伝える。
そんな会でした。

ある時、その発表会に大阪府貝塚市の教育委員会の方が来てくださいました。
イベントを見た教育委員会の方は、非常に心を打たれたと言ってくださり、
後日、私を教育委員会に呼んでくださいました。

そして、こう依頼されたんです。
「貝塚市は当時、日本で一番偏差値が低く、引きこもりも日本一多い。環境が難しく、
夢を見つけにくい場所になっている。だから、若者の夢になるような事業を立ち上げてほしい」

私は、いつかこの地で何かをやりたいと思いました。
応援し続けた先に、こんな形で社会から必要とされる。
これも、応援の循環なのかもしれない。
そう感じた瞬間でした。

あなたの番組が、誰かの人生を変える

ゆめのたね放送局は、ラジオとコミュニティを融合させた「第4の居場所」です。

  • 第1の居場所:家庭
  • 第2の居場所:職場
  • 第3の居場所:カフェなど、本音を言える場所(サードプレイス)
  • 第4の居場所:ネットとリアルを融合した、成長し続けられる場所

あなたの声は、誰かの勇気になります。
あなたの経験は、誰かの道しるべになります。
そして、あなた自身も、応援する中で成長していきます。

さあ、あなたも「応援する側」に立ってみませんか。

「できないこと」ばかりの人生が教えてくれたこと

私は小さい頃から、左半身に神経炎症を起こす病気を抱えていました。
劇痛の中で生きる日々。
入院も多く、普通の人とは違う。できないことが多すぎる。
そんな自分を、いつも責めていました。

居場所を作るために、明るく振る舞った

運動はできない。
でも、ハンドボール部に入りたかった。
だから私は、自分の元気良さと明るさでチームを引っ張ることにしました。
中学でも高校でもキャプテンを務め、高校ではハンドボール部がない学校にわざと入学し、同好会を立ち上げました。
その同好会は、なんと国体選抜選手を輩出するまでに成長したんです。

でも、大学では壮絶ないじめに遭いました。
「ハンドボールもできへんのに口だけ出す生意気な後輩」。
骨を折られたこともありました。
あの時、気づいたんです。
組織の中で生きていくのは難しい。
だったら、自分で居場所を作るしかない。

18歳の私を救った、ある社長の言葉

自分で会社を作ろう。
そう決めた私は、18歳の頃から梅田の書店に通い、経営者のインタビュー記事を読み漁りました。
そして、その書店から電話をかけまくり、いろんな社長に会わせてもらったんです。

ある日、お父さんとお母さんが心配して言いました。
「そんな大人の人たちが、なんで直樹をこんなに可愛がってくれるんやろう。騙されてるんちゃうか」
私も不思議で、ある先輩社長に聞いてみました。
「なんで僕なんかをこんなに応援してくれるんですか?」

その時、先輩が言ってくれた言葉が、今でも忘れられません。

「頑張るやつを応援するのに理由なんかいらんわ。頑張ってる姿を見たら、応援したくなんねん」

この言葉が、私の人生を変えました。
いつか大人になって、頑張ってる人を見たら応援ができる人間になりたい。
応援する舞台を作りたい。18歳の私は、そう決めたんです。

31歳まで、休んだことがなかった

その後、私はエレコムという会社で営業マンとして働きました。
でも、ハンドボール部の活動も含めて、私は夏休みも春休みも一度も経験したことがありませんでした。
31歳になるまで、ずっと走り続けていたんです。

そんな私が唯一、心からリラックスできた場所がありました。
それが、沖縄でした。

先輩経営者たちが、休暇になると必ず沖縄に行っていたんです。
「沖縄には何かあるんだろうな」
そう感じた私は、31歳で会社を辞めた後、沖縄の離島を転々としました。
石垣島、竹富島、黒島。
エブリデーホリデー状態で過ごす中で、気づいたんです。

心が、すごく安定する。
病気が全然出ない。
いつも出る熱も、全く出ない。
そして、沖縄の人たちの温かさ。
関西人の私が「飲み屋で友達になれる」と思っていたのを、はるかに超えるフレンドリーさ。
初めて会った私を、朝まで返してくれないくらい歓迎してくれました。

この時、理解したんです。
疲れた時、心が病んだ時、次に頑張る前に沖縄に行って、空気を吸って、マインドをセットし直す。
先輩たちの姿が、やっと理解できました。
だから、ゆめのたね放送局を立ち上げる時、「沖縄スタジオは絶対に作る」と決めていました。

朝5時半の電話が、すべての始まりだった

ある朝5時半、相方の佐藤大輔から電話がかかってきました。
「尚起君、一緒にラジオ番組やろう!」
「尚起君とやったら、絶対いろんな人たちの夢の応援ができる!」
そんな言葉から、ゆめのたね放送局の物語が始まりました。

放送局を立ち上げると決めた時、見積もりは3,000万円。
でも、私たちの貯金はわずか1,200円でした。
普通なら諦めるような状況です。
しかし、奇跡が起きました。

私たちが過去に全力で応援してきた人たちが、今度は私たちの夢を応援してくれたんです。
元後輩の桑野君は、本業のアトピー改善の仕事を全てストップし、
2ヶ月間寝る間も惜しんで配信システムを開発してくれました。
見積もり3,000万円のシステムを、24万円で。
宮子電気の金子さんは、業務エアコンをプレゼントしてくれました。
中村工務店の谷岡さんは、材料費だけで放送局を建ててくれました。
見積もりの5分の1の金額で。

なぜ、彼らはそこまでしてくれたのか。
桑野君は、私が彼のアトピーを治す栄養学者を紹介し、奥さんとの出会いもサポートしていました。
金子さんは、大輔君が店長時代に工事の不備があっても怒鳴らず、
いつも感謝の言葉をかけていたことを覚えていました。
谷岡さんは、私たちが彼の難病の娘さんの支援活動を一生懸命やっていたことに恩を感じていました。

応援した人が、応援される。この互恵の法則を、身をもって体験した瞬間でした。

すべての人に、応援する場所を

今、ゆめのたね放送局は全国に広がっています。
そして、沖縄スタジオは、規模は小さいかもしれませんが、役割としては一番大きいんです。

沖縄スタジオは、当初国際通り付近で開局しましたが、
現在はパーソナリティの宗利紀里さんが経営する「沖縄物語」というカフェの中にあります。
紀里さんは、一人ひとりを大切にする人間力、コミュニケーション能力、
人当たりの良さを持った、本当に素晴らしいリーダーです。

紀里さんが番組オーナーの皆さんとの繋がりや、オーナー同士のご縁を、
一つひとつ丁寧に育ててくださっているからこそ、沖縄スタジオは全国で一番継続率が高いんです。
他のスタジオでは、人口が多い分、入れ替わりも激しいのですが、沖縄スタジオはやめる方がほとんどいない。
番組オーナーの皆さんの団結力、横の繋がりの強さが、本当に素晴らしいんです。

全国のパーソナリティの皆さんが、沖縄に来てエネルギーをチャージする。
心のビタミンのような場所。
だから、毎年の周年パーティーは沖縄で開催したいと思っています。

私は、病気で苦しんだからこそ、人の力を借りることの大切さを知りました。
応援することの素晴らしさを知りました。だから、あなたにも伝えたいんです。

あなたの声で、誰かの夢を応援しませんか?

「自分の想いを発信したい」
「誰かの役に立ちたい」
「もっと自分らしく生きたい」
そんな気持ちを抱えながら、一歩を踏み出せずにいませんか?

ゆめのたね放送局では、あなたのような方を大募集しています。

まずは説明会動画をご覧ください

ゆめのたね放送局のホームページから、48分の説明会動画をご覧いただけます。
この動画では、番組オーナー制度の仕組みや、実際に活躍されている方々の声、
そしてあなたが得られる成果について、分かりやすくお伝えしています。

説明会の日程が合わない方も大丈夫です

定期開催の説明会に参加できない場合は、ホームページから
あなたのご都合に合わせて、個別にご案内いたします。

沖縄から、全国へ。そして世界へ。

沖縄スタジオは、ゆめのたね放送局の中でも特別な場所です。
規模は小さくても、役割は一番大きい。
ここは、全国のパーソナリティの皆さんがエネルギーをチャージする
「心のビタミン」のような場所なんです。

あなたも、この温かいコミュニティの一員になりませんか?

今すぐホームページへ

ゆめのたね放送局のホームページにアクセスして、「パーソナリティ大募集」のページをご覧ください。
そこから、説明会動画や個別相談へとお進みいただけます。

あなたの「やってみたい」を、私たちは全力で応援します。
一緒に、誰かの夢を応援する側に立ちましょう。